わたしが行かねばという使命感

2011年3月に東日本大震災があってからもう3年が経とうとしている
私は関西に住んでいたので、実際のところ震災の直接的なダメージは受けていないのだが

テレビやラジオから聞こえてくる情報にこれはこの世の出来事なのか?とショックを隠せなかったのを覚えている

そして何より、震災の直後に起きた福島第一原発の事故である
原子力発電所というものにそれまで興味を持たずに生きて来たひとも多かったのではないだろうか?
それくらい、みんなが安心安全な発電方法だと信じきっていた発電所が事故で爆発した時
日本に放射能が降り注ぎ、日本の地域の一つである福島県の人が避難しなければならない事態になるなんて
いったい誰が想像しただろうか?

放射能という目には見えずにおいもせず、ただ刻々と静かに体を蝕んでいく物質に
人々はどうしていいのか、きっと今もわかっていないのではないだろうか?

全国にまだまだある原子力発電所の近くに住む人、そこで働く人たちはアレ以来原子力発電というものに
疑問を持たずにはいられないと思う

そして、不安でしかたがないのは特に母親だろうと思う
子どもたちが福島に住んでいることによって、将来こどもが生めなかったら ガンになってしまったら
子どもを守りたくてなくなく故郷を後にした人も居る、避難するかしないかがこじれてしまい離婚してまで
避難を決めた人

看護師という仕事をしている私の周囲でも、そんな話しが聞こえてくる
福島県の看護師として働いていることによって、自分に生まれてくる子どもになにかあったら困るから と
他県に引っ越してしまう人もいるし、子どもの為にとなくなく職場を離れる人もいるし

私がそんな話しを聞いていてずっと、自分が福島に行くべきではないかとずっと思っていた
なので今年は福島県の看護師求人を調べて、福島県の看護師求人に応募しようと決めた

もちろん、両親は心配しているけれど私は自分なりに福島県に出来ることをしたいのだ
福島県の看護師求人に応募して福島県で看護師になったからといって、震災の復興にやくだったとは思わないが

ずっと離れたところでやきもきしているくらいなら、とついに腹を決めたのです。